2012年 11月 19日
何時か来た道
なんも変わらんですね?笑
もう一体どれだけの税金を使ったことでしょうか?
景気はその場だけよくなるだけを繰り返し。
そしてまた奈落に落ちていく。
もっと持続可能な社会を目指すことを考えていくべき時と思います。
全然話は変わりますがコテコテさんが書いていた一文。
ワタクシ自分に投影されました。
・・・身も心も疲れ果て、もうボロボロに擦り減ってしまった・・・
こういう生活に疲れた話を俺は仕事がら聞くことも多いが、そこで親からいただいた生きるというチャンスを、なぜ? あんたは投げてしまうのか?
・・・せっかくいただいた命、ボロボロバラバラになるまんで、とことん消耗しきってこそ、なんぼの人生やろが?
余力をたっぷり残しといて、なにをか言わんや。
可能性は限界まで突き詰める。
生き切る大人が少ないからこそ、あんたも見本になるように生き切るんだろうが?
向ってゆく人生には、アクシデントがいっぱいや、そりゃ~愉しいで。
無邪気な子供たちはちゃんと見てるぞ。
同情して理解を示すカウンセラーは掃いて捨てるほどいるが、そんな偉そうな連中は放っておいて、俺は自分もそうでありたいと生き切る日々を半世紀いじょう続けている。
な~んもなくなるまで、生き切ってみる。
それが命を与えられたものの責任だし、光に向うものの真実だ。
使い切らず終わりにするのは、もったいない。
山に行けば、嵐で根こそぎ倒れてしまった木々が、その倒れた姿で新しい枝や葉を平然と出して、お日様に向ってニョキニョキまた成長して行ってる。
その下敷きとなって折れ曲がった木々もまた、そこから芽や葉を出して生きて行く。
それを応援するかのように、陽射しもたいして届かない地面には、小さく可愛い花も咲いている。
俺も若い頃、酔って暴れて素手でガラスを叩き割った時、右手の腱に大きな破片が突き刺さり、自分で引っこ抜いてそのまんま血だらけで眠ってしまい、翌日丸太のように腫れた腕をぶら下げて外科に行ったが、縫うこともできないと言われ、最悪右手は諦めたほうが良いかもと言われたことがあるが、すぐに左手と口で字を書く練習を始めた。
そのまんま3ヶ月左手一本で運転して仕事をやっていたが、意志が通じたか右手は字が書けるくらいには回復した。
しでかしてしまったならグジグジ言わずに自分で責任を負い、黙ってやり直すしかない。
単純明快、その腕でいまでも遠泳し、岩壁をよじ登り、こうして生きているわいな。
なんかおかしいぜ、気持ちの萎えてる自惚れだけの人間どもよ。
なにをかいわんや・・・。